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20050516

AMON DÜÜL 『PSYCHEDELIC UNDERGROUND』

PSYCHEDELIC UNDERGROUND

ディオニュソス的な音楽

 初期ジャーマンプログレは、やたらカオスティックでとっつきにくいものが多いのですが、 このアルバムもカオスティックなものの一つに挙げることができるでしょう。とはいえ、同じラリラリ&ダラダラなカオスの初期ASH RA TEMPELや初期GURU GURUなんかとはちょっと違い、 祝祭性があり原始的な音楽で僕は気に入っています。僕としてはボアダムスにも通ずる祝祭性や原始性を、 多少感じます。ただボアは明るい感じですけども、アモン・デュールはディオニュソス的といいますか、ほの暗い衝動を感じさせます。 それにアモン・デュールは非常に拙い演奏ですね。

ディオニュソス的とは

 ここでのディオニュソス的とは、ニーチェが著作『悲劇の誕生』 にてソクラテス以前のギリシア的生のあり方を明らかにしようとしたときに、 対照的なアポロン的なものとの関連の観点から解明するために用いられたものです。

 アポロンは昼ならば、ディオニュソスは夜、アポロンが理性の象徴ならば、ディオニュソスは衝動と情念の象徴です。 アポロンが個体化の原理であるとするならば、 ディオニュソスは個体化の原理が破壊されるとき自然の根底から湧き上がってくる歓喜に満ちた恍惚を意味します。

力・肯定・神化

 ニーチェのディオニュソス概念には二義性があるらしく、『悲劇の誕生』のように、 ディオニュソス的なものがアポロンやソクラテスと対比されるとき、イメージの中心にあるのは、 生の根底から湧き上がるような無意識的でマグマ的な力のようです。しかし、 ディオニュソス的なものがキリスト教と対比されるとき、イメージの中心にあるのは、現に存在するすべてに対する、 充実して完結した肯定であるとされています。

 ニーチェが考える元来のギリシア的生においては、善悪にかかわりなく、 存在するすべてのものが神化されている、豊饒な、勝ちほこった生存が支配していました。

無意識的か意識的か

 このアルバムは、アモン・デュールの4人のメンバーに加え、当時彼らが生活していたコミューン内の仲間と女、 子供など楽器を弾けない人たちによるセッションを元に製作されました。このセッションは3日間だったらしく、 その録音をスタジオで様々に加工・編集して『PSYCHEDELIC UNDERGROUND』を完成させました。

 演奏は、たしかにディオニュソス的なのですが、タイトルに『PSYCHEDELIC UNDERGROUND』なんて付けるあたり、 かなり意識的でディオニュソス的なものとは逆の印象も受けますね。

  1. Ein wunderhübsches Mädchen träumt von Sandosa
  2. Kaskados Minnelied
  3. Mama Düül und ihre Sauerkrautband spielt auf
  4. Im Garten Sandosa
  5. Der Garten Sandosa im Morgentau
  6. Bitterlings Verwandlung
COMMENTS
ディオニュソス的な演奏ですが、集団即興という場をうまく利用した結果という点から、全体を俯瞰してみると突如として作為的なものを感じてしまうのがこのアルバムの味です。
ニーチェは結局のところただの狂人の枠を出られていないのかもしれません。
アモンデュールは後のライヴ録音っぽい音源も最高にナイスなので、音楽を媒体とするシャーマニズム(ぼくの高校の時の論文のタイトルです。恥)に興味があればオススメです。
Posted by 森本 at 2005/05/17
森本さんの言うとおりですね。
素人・集団といったことからも、演奏にディオニュソス的なものを感じ取ることができますが、編集の仕方を含め、ほかは作為的ですね。
逆に「作為的でない編集」なんてものは珍しいですが。

僕は、ニーチェは狂人の粋だとは思いません。
むしろ、狂人であればあのようなものは書かなかったかなと。もちろん晩年は完全に狂人でしたが。
ニーチェはあまりにも卑小で、弱者であったから、ディオニュソス、力あるもの、超人、子供といった生のあり方(その生き方ゆえに、狂人と呼ばれてしまうような生のあり方)に憧れを抱いていたのだと考えています。
彼はそのような生のあり方、そしてキリスト教道徳(を含む道徳一般)や自分自身の弱さを徹底的に、意識的に認識し解明し尽くそうとした、ある意味彼が対決したソクラテス的な枠の中にいたのかもしれません。
それゆえに、彼は満ち足りた力強い生を、ついには手に入れることはできなかったのだと思います。

長々とすみません(-_-;)
ライブ録音っぽい音源のタイトルはお分かりになりますか?是非聴きたいです。
そういえば、のちに「PSYCHE〜」のときの録音を元にもう一枚出しているんですよね。
そちらも聴いてみたいです!
Posted by よしだまこと at 2005/05/17
アモン・デュールはTもUも素晴らしいので、両方オススメですが、僕はUの方が好きだったりします。
キャプテントリップというレーベルからいっぱい出てますので、中古とかで安く入手してみてください。たくさんありますが、適当に買っても大ハズレはありません。
東京タワーの直営店(もうないかな?)ならほとんどのタイトルが揃ってますよ。
ちなみに90年代のアモンデュールを聞くと、あまりの演奏能力の向上と音質の良さに驚くと思います。でも混沌としたインプロ魂は健在です。

Posted by 森本 at 2005/05/18
キャプテントリップから大量に発売されてますので、見かけたら適当に買ってみるというのもありです。
大抵はハズレなしなので。
東京タワーの直営店とかならほぼ全部置いてありますよ。店自体が残ってれば、ですが。
あと90年代のアモンデュールは演奏能力に磨きがかかっていて、別バンドのような感じがしますが、混沌ぶりは健在でおもしろいです。
Posted by 森本 at 2005/05/18
しまった!
間違えて二回書いてしまった!
すいません…。
Posted by 森本 at 2005/05/18
>森本さん

コメントありがとうございます。
最近東京タワーに飽きるほど行く機会がありましたが、
キャプテントリップのお店は健在でした。
また今度行ってくるので、
そのとき購入しようと思います。

コメント連投の件は大丈夫です。
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Posted by よしだ at 2005/05/18
マヌケでおもしろいので削除しなくてOKです!
ニーチェは確かに弱者ですね。
彼を狂人だと言うのではなく、彼をただの狂人であった、という認識で済ませてしまう姿勢が大切なのです。
触らぬ神にたたりはありません。
彼に優しさをもって接し、すこしでも理解してあげようなどという姿勢を見せたら敗北です。ニーチェはどうしようもない妄想狂である。と思い込み、素通りしてしまうのが、ニーチェにとっての一番の屈辱であり、現在唯一の攻略法であります。

キャプテントリップはたまにとんでもないリリースをするので大好きです。ヤホワのボックスはさすがに買わなかったけど。
Posted by 森本 at 2005/05/19
ニーチェも弱者ですし、ニーチェの「思想」に共感するような人間も、ニーチェの言うところのキリスト教徒と同じく、あるいはそれ以上に弱者でしょうね。
ニーチェが、キリスト教(や一般的な道徳)の教えがルサンチマン・復讐意思に基づいていると述べるのであれば、僕はその考えから類推し、ニーチェの教えもまた別種の道徳であり、何らかのルサンチマン・復讐意思に基づいていると考えます。
ただ教えはともかく、ニーチェの問いに関してはルサンチマンではなく、実に素朴な「子供」の疑問だと考えていますが。

攻略法と言いますか、強い人間というものは、おそらくニーチェの思想・教えなどというものを最初から少しも必要としない人のことでしょうね。
そして世の中の多くの人間は、良心の呵責にあまり悩まされず、計算や打算によって生きる人間であり、ニーチェが考えるほど弱くはないとも思います。

ヤホワですか。ボックスを買うのはさすがにためらいますが、ちょっと聞いてみたいです。
Posted by よしだ at 2005/05/19
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