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20060618

裸のラリーズ 『MIZUTANI』

MIZUTANI
『MIZUTANI』

裸のラリーズといえば強烈なフィードバック、ファズ、
轟音でサイケデリックなギターサウンドといった
イメージが強いですけれども、
この『MIZUTANI』というアルバムはアコースティックで
静かな曲が中心であり異彩を放っています。
録音された70年(最後の曲「黒い悲しみのロマンセ」だけは73年録音)に
ラリーズは一度解体してまして、
70年前半は水谷孝ひとりで活動をしていたためです。
水谷ひとりだけの演奏というわけではありませんが、
基本的に水谷の独白といった感のあるアルバムです。

 

血の海

1曲目の「記憶は遠い」ではこう歌っています。

僕らの周りで海が血に変わる
それしか僕には許せなかった
愛することと信ずることは違う
今ではお前を信ずることはできる

また、5曲目の「THE LAST ONE」では

愛し合う僕たちに痛みは残るけれど
もう一度落ちてゆこう、血の海に

と歌っています。
ラリーズの詞には頻繁に愛と血(の海)が同時に登場します。
なぜ愛と血なのでしょうか?
おそらく水谷にとって血とは痛みの象徴なのです。
愛とは痛みを伴うもの。
それも「血の海」ともなれば相当の痛みです。
「それしか僕には許せな」いほどに、
水谷にとっての愛は激しく厳しいものであると見てとれます。

 

水溜り

「記憶は遠い」で登場した血に変わった海ですけれども、
最後には

僕たちの海は水溜りに変わり
青ざめた血だけが止まることも知らずに

と「水溜りに変わ」ってしまっています。
そして3曲目の「断章T」では

足跡はうつろで水溜りで嗚咽した

と、その「水溜りで嗚咽」しています。
「僕たちの周りで海が血に変わる
それしか僕には許せなかった」、
その海がなぜ「水溜りに変わ」ったのか?
「〜水溜りに変わり」の詞の前には

お前が後を追うことはないと思いつつ
後を振り向き、振り向き1人旅に出る

という詞が登場しています。
水溜りというのは悲しみの象徴なのではないでしょうか。
「愛することと信ずることは違う
今ではお前を信ずることはできる」
逆を言えば、今ではお前を愛することはできない。
痛み、あるいは痛みを伴う愛の象徴である血の海が
水溜りに変わってしまった、お前が後を追うことは無い。
それゆえ「水溜りで嗚咽」するのです。

 

足跡

先程の「断章T」の

足跡はうつろで水溜りで嗚咽した

ですが、足跡というのは4曲目「断章U」にも

足跡に添えられた足跡

と登場します。
しかし、「断章T」も「U」も非常に抽象的な詞のため
解読するのは困難を極めます。
ただ、僕が思うに「足跡はうつろで」とあるということは
足跡というのは虚しさの象徴ではないかなと。

 

煙草の煙

その非常に抽象的な「断章U」ですけれども

オーロラは煙草の煙

とこれまた解読困難な詞が出てきます。
また5曲目「亀裂」では

煙草の煙で雲をつくって飛ばしてしまおう、悲しみを

と歌います。
ええっと、「煙草の煙」が何を表すのか
力を振り絞って考えていたんですけど、
結局分かりませんでした。
水谷のみぞ知るといったところでしょうか。

 

朝の光

朝の光」 に関しては、ラリーズ好きの音楽評論家、湯浅学による
文章を引用しようと思います。

 裸のラリーズと“朝”を結ぶ貴重な作品である。水谷は空を飛んでいる。

朝の光をうけて私は空に舞い上がる
さあお前も窓を開けて
ついておいでよ私に
これから始まる寒さを避けて
南に向かって飛ぼうよ
さあ窓を開けて二人で飛び出そう
(「朝の光」より)

 歌の最後のララララと歌うスキャットがむしろ飛んで行くその行方の不明を予見させて不気味である。朝の光の中に消えてゆく。

『STUDIO VOICE VOL.291 2000年3月号』

 

黒い天使の死の歌

さて詞の話はこれくらいにして演奏の話ですけれども、
以前『'77 LIVE』で書いた

ギターの音が、歌がテープエコーでばら撒かれ、悪夢の中へと引きずり込む。 ファズのフィードバックはストロボのように闇を照らす。

というお馴染みのスタイルは皆無です。
後半のライブ録音である「THE LAST ONE」「黒い悲しみのロマンセ」も
フィードバックはあるもののテープエコーは使用していないようです。
初めに書いたとおり上記2曲を除き
アコースティックで静かな曲が並んでいます。
そのためサイケデリックロックというよりも
アシッドフォークといった感があります。
以前に『Dr.森本の凝解コラム』の森本さんから

ジャパニーズサイケ特有の内面に沈み込む感覚

というコメントを頂きましたが、
まさしくその言葉に相応しい音です。
あるいはそのコメントに僕がお返しをしました

どこまでもどこまでも巨大な何かに
包み込まれていく感覚。
(中略)
死のイメージ

というのもしっくりくるかなと思います。

死のイメージとは言っても、決して冷たいというわけではなく
同時にあたたかさも持った音――演奏です。
詞は全体的に厳しく物悲しいものですけれども、
水谷、久保田のギターはとてもやさしく響いてきます。

 

1〜5曲目までは上記のような感じですけれども、
6曲目「THE LAST ONE」、7曲目「黒い悲しみのロマンセ」は
一転して荒々しい演奏を行っております。

6曲目「THE LAST ONE」はよく知られている同名曲、
『'77 LIVE』なんかに収められている「THE LAST ONE」とは
全く別の曲です。
詞も演奏も全く異なっています。
演奏に関しては、パーカッションといいギターフレーズといい音色といい
録音レベルがレッドゾーンへ振り切れているような感じまで
ヴェルヴェッツにそっくりです。
相当好きだったんでしょうね、ヴェルヴェッツが。

7曲目「黒い悲しみのロマンセ otherwise Fallin' Love With」は
冒頭になぜか「THE LAST ONE」の演奏の一部が収められています。
ちょっとややこしいんですけど、
6曲目の「THE LAST ONE」とは別の、
『'77 LIVE』に収められているタイプの「THE LAST ONE」です。
なんでその一部分が録音されているのかは謎です。
最初に書いたとおりこの曲だけは73年の録音です。
もうすでに、完全に裸のラリーズの特有の演奏になっています。
テープエコーを使用しているかどうかは不明ですが、
ボーカルに軽いエコー効果が確認できます。
テープのヒスノイズのようなものが聞こえるので
ひょっとしたら使っているかもしれませんね。

 

裸のラリーズ 『MIZUTANI』

  1. 記憶は遠い
  2. 朝の光 L'AUBE
  3. 断章1
  4. 断章2
  5. 亀裂
  6. THE LAST ONE
  7. 黒い悲しみのロマンセ otherwise Fallin' Love With
posted by maco | Comment(0) | サイケデリック
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