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20040920

THE VELVET UNDERGROUND & NICO 『THE VELVET UNDERGROUND & NICO』@

VELVET UNDERGROUND & NICO
『VELVET UNDERGROUND & NICO』
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 このアルバムを買ったときのことを今でも憶えています。 その当時、僕はパンクが好きでピストルズや ダムド、 初期ジャムなどのオリジナル(?)・パンクを好んで聴いていました。

パンクの祖

 僕の持っていたロックのレコード・ガイドブックではヴェルヴェッツを「パンクの祖」といったような感じで紹介していました。 確かに間違ってはいないのです。 ロンドン・パンクが生まれたきっかけはピストルズのマネージャー、 マルコム・マクラレンが リチャード・ヘルや ニューヨーク・ドールズ(マルコムはドールズのマネージャーを務めていたことがある)といった ニューヨーク・パンクに触発されたことであるからです。 そしてニューヨーク・パンク(とは言ってもニューヨークだけでなくアメリカ各地に点在していたのです)が生まれたきっかけは、 このヴェルヴェッツにあると言っても過言ではないからです。

時間をくれ

 僕はこのアルバムにパンク・ミュージックを期待して買ったのです。 しかし、家に帰ってレコード(当時、僕の周りではなぜかCDでなくアナログで買うのが流行っていました)に針を落として出てきた音は・・・・・・。 僕はとてつもなく落胆しました。 「こんなのが最初のパンクなのか・・・・・・」と。 何しろ一曲目はあの「Sunday morning」(穏やかで愛らしい鉄琴<ビブラフォンかな?>の音で始まる)であったのですから。 これが「Venus in Furs」や「The Black Angel's Death Song」、そして「European Son」であったならば少しは違った印象を持ったかもしれませんが・・・・・・。 何にしろ僕がこのアルバムに興味を持って接するためには、もう少し時間が必要でした。

侮蔑

 何が僕を変えたのかは分かりません。 今では僕の音楽的嗜好性や音楽と言うものに対する考え方が、 その当時とではすっかり変わってしまいました。 あんなに好んで聴いていたパンクに対しても、 一時期はある面で深い侮蔑とまではいかないが矛盾を感じていました。 それはあの当時のオリジナル・パンクに対して向けられているものではなく、 今のパンク・ミュージックがパンクを標榜することに対するものです。

 いま僕はパンクを既成概念の破壊行為であると解しているのですが、 今パンク・ミュージックをやるということはむしろ既成概念をより強固なものにするという活動にしか見えないのです。 パンクという既成概念を、です。 またパンクというものは、 今では誕生時と異なり、 部活動と同じような青春の1アイテムと化してしまっている気がしますし、 オーディエンスに対する態度やオーディエンス自身の態度が馴れ合い(じゃれ合い?)みたく見えて非常に気持ちが悪いです。 その考えが僕を変えてしまったのかもしれません。

重い、ゆえに弱い!

 それからしばらくは、 既成概念の破壊至上主義とでもいうべく偏屈な音楽観に支配されていきました。 それは弱く重々しい考え方だと、 今では思います。 たぶん本当は、 既成概念の破壊なんて大仰なものは大した価値はありません。 僕が考えるところでは、 音楽とは音の遊び――音で遊ぶことです。 音楽家は音で遊んで音楽を作り、 聴取者は聴くことによって音で遊ぶ。 ただそれだけ。 その背後には何もありません。 既成概念の破壊なんて、 その意味では他の価値観に勝るものではないし(別に劣るというわけでもありませんが)、 そのことにひたすら固執し、 より高次の意味を与えることは病的です。

軽い、ゆえに強い!

 音の遊び、 そういう力強く軽快な音楽との接し方があるということを、 僕はここ一、二年でようやく気付きました。 これ以上に強く軽い考え方があるでしょうか。 この次元ではパンクというものも(その精神性を抜きにすれば)積極的に否定されるべきものではなくて、 音の遊びの1つの形態なのです。 とは言っても僕はパンク・ミュージックは好きではない。 それは精神性や思想云々と音楽が矛盾を孕んでいるとかそういうことに起因するものではなくて、 ただ単純に嗜好性よるものだったのです。

 僕の音楽観遍歴を図示してみよう!イヤッホゥー!Let's go!

音楽的好みがパンクの時代。

しだいに好みが変わってくる。

重苦しい思想的パンク(既成概念破壊主義)の時代。

なぜか狂人のような音楽に惹かれた時代。
今でも好きだけどファウストなどの ジャーマン・プログレとか ピクシーズとか。

音楽は音の遊び時代。
この外部には何もなく、 既成概念破壊(主義)を含む、音楽についてまわるあらゆる思想はこの内部のものに過ぎない。 つまり、そういった思想はすべて、より音の遊びを楽しむための一つの道具――一つの考え方――に過ぎないってわけだ。 (現在)

追記(2005/07/31)

 「いま僕はパンクを既成概念の破壊行為であると解している」って書きましたが、最近『ルーツ・オブ・NYパンク』を返してもらいまして、そこに載っていたレスター・バングスの文章を読んで考えが変わりました。以下に引用して載せます。

 ロックン・ロールはアティチュードだ。だからアティチュードさえ持っていれば、誰が何と言おうとロックン・ロールできる。そう信じることがすなわちパンク・ロックなのだ。(中略) 60年代にはロックン・ロールはひとつの“芸術形式”なのだと考えられはじめた。でもロックン・ロールは“芸術形式”なんかじゃない。ロックン・ロールは肚(はら)の底から湧き上がってくる生(なま)の叫びだ。誰がどう呼ぼうと、パンク・ロックは始めからあった。パンクは、石(ロック)を一番生の状態にまで砥いだものなのだ。

 僕が思うに、以前の僕の考え――パンクは既成概念の破壊――は少し病的な感じがします。それに引き換え、このレスター・バングスの考えの素直なことといったらもう・・・・・・。感服しました!

 『ルーツ・オブ・NYパンク』、久々(4年ぶりくらい?)に読んだけど、やっぱ良い本です。ためになるというか、勉強になるというか・・・・・・、ハッとさせられるものが多いです。

(まだまだ続く……てか、いっそのこと記事分けたほうがいいのかな?)

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VELVET UNDERGROUND & NICO 『VELVET UNDERGROUND & NICO』

  1. Sunday Morning
  2. I'm Waiting for the Man
  3. Femme Fatale
  4. Venus in Furs
  5. Run Run Run
  6. All Tomorrow's Parties
  7. Heroin
  8. There She Goes Again
  9. I'll Be Your Mirror
  10. Black Angel's Death Song
  11. European Son

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